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小栗虫太郎『黒死館殺人事件』目次と注釈ほか

以下ネタバレの可能性アリ!

小栗虫太郎作品の注釈
ブラック・イン・オーグリー
〜快楽亭ブラック登場〜
紅殻駱駝の秘密
・何時でも、山高帽の筋が、額に赤い線を引いてゐる異国の老学者は、昇降口から半身を乗り出して手を差し伸べた。
・セルボニー氏は、此の一くさりだけを佛蘭西語で言って、車内が割れ返るばかりの笑ひ声を立てた。
青い鷺
・弁助はすぐにこれが少年時を風靡した英吉利人の魔術師、蝶旭斎マラボーツであるのを知った。
・「ホウ、そうでげすかい。お見それ申しやして、あっしが蝶旭斎マラボーツ。御先代には、たいへんお引立をいただきまして」
 呆れたような車内の視線が、マラボーツへいっせいに注がれている。テニヲハの、滅茶雑多なするある[#「するある」に傍点]口調ならばともかく、老外人の、口をついて出るのが、濁酒的日本語である。彼こそ米化日本人《メリケン・ジャップ》、仏化日本人《フランコ・ジャポネ》を例とすれば、まさに日化英人《ジャッポ・アングリッフ》ともいえる奇人種である。
両作品において、主人公が事件の手がかりを聞きたくて、わざわざ汽車に乗ってるのを追いかけて行った同じような設定のキャラクター「セルボニー先生」と「蝶旭斎マラボーツ」のモデルは、明治時代に実在したイギリス人落語家「快楽亭ブラック」ことヘンリー・ジェームス・ブラックと考えて間違いないでしょう。

『日新真事誌』という新聞を作って、でも日本政府を批判しすぎて怒られたジョン・レディ・ブラック。
その息子が快楽亭ブラックです。のちに帰化して「石井貌剌屈(いしいぶらっく)」を名乗りました。その嫁の「石井アカ」さんとはすぐ別れたけど。

見た目が完っ全にガイジン(の太ったオッサン)なのに、
「こいがその、〜なんてんで、〜なんでごだいやす。」と流暢な江戸弁による落語は当時の芸界にもてはやされ、一大ブームを築いたと言われています(※ただその日本語は「ちょっとだけ」なまりがあったそうで、逆にソレがウけたのかもしれません。日本語そのものは弟のほうが上手かった、という説もあります)。

落語以外にも、講談や手品、楽団や英会話学校といろいろ手を出した人でもあります。
「何にでもなろうとして何にもなれなかった」ような、華と闇を持つマルチな才人。それが快楽亭ブラックです。
横浜外人墓地に眠っています。

虫太郎作品では
「あとで出たほうが本人に近い設定」
「ただし手品師として登場している」
という点が興味深い。
執筆当時は世間ではブラックはどれくらいの知名度があったのだろう?
参考文献:小島貞二『決定版 快楽亭ブラック伝』恒文社
紅殻駱駝の秘密
・さうして、大宮の町を、前方近くに眺めたとき、不意にエンジンの響きが止んだ。
・「君は知るまいが、丸の内の鉄道博物館が、此処へ引つ越して来たのだよ。」
「初代の鉄道博物館」は丸の内にあったそうで、その開館日こそが現在の「鉄道の日」なのであります。
そして2000年代に!本当に「てっぱく」が大宮に出来るとは!おそるべし虫太郎?!
「青い鷺」に就いて
必ず神田大和町の味がすること請合である。 たとえば幕末の頃とか、大和町から隣の東竜閑町(ひがしりゅうかんちょう)にかけて、駄菓子問屋が数百軒ほどあったそうです。お菓子以外にも箪笥とか蝋燭とかの職人街、でもあったとのこと。
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